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小さな町の小さな百貨店、お母さんと贈り物の思い出

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5月10日は母の日。母の日をきっかけに、お母さんとのエピソードをふと思い起こす方も多いかもしれません。ブロガーのイシゲスズコさんがお母さまとの思い出をつづってくださいました。相手を喜ばせたいという気持ち、プレゼントに込められているのですが……。(編集部)

 

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Photo by MIKI Yoshihito

 

生まれ育った小さな町にあった小さな百貨店。

小さな私は母に連れられてよくそこへ通っていました。

 

1階にはケーキ屋さんとパン屋さん、反対側には化粧品、奥には靴売場……香水とお菓子の甘い匂いが混ざった店内、おやつがたくさん詰まって回っている量り売りのテーブル。2階にはお洋服、3階には本屋さんと雑貨……市内が一望できるレストランは3階だったか4階だったか。

 

家族の身の周りのものやお客さんへの贈答品をあれこれ選ぶ母のそばで、退屈だなぁ早くケーキ買って帰りたいなぁと思っていたのを覚えています。


■ どこか窮屈な「お嬢さんらしいお洋服」


2階の端にあった子ども服売場、その一角に母がよく立ち寄っていた、とある子ども服ブランドのコーナーがありました。今思えば母が小さい頃欲しかったものが詰まっていたんだろうな、フリルやレース、つやつやのベロア、母が顔を見せると店員さんがニコニコしながらそばへ来て、今日はこれがと新商品をいくつも並べてくれて、それを楽しそうに選ぶ母。

 

母が選ぶのはいつも、お嬢さんらしいヒラヒラフリフリのお洋服。

 

木登りが好きで川に入って遊んだりしたかった当時の私にとってそれは「お行儀よくしときなさい」と暗に言われているように思えて窮屈でなんだか嫌で。でも小さな私はそれを母には言えず。母の選ぶお洋服を着て母の好きな長い髪を母が好きなおさげに結ってもらう、されるがままの私は、小さい頃は貧しくて何も買ってもらえなかったとことあるごとに口にしていた母にとって、自分のささやかな夢を叶えるためのお人形だったのかもしれないなぁと、時折思い出すことがあります。もちろん、母がそんなことを意識していた訳ではないんだろうけど。

 

私が小学生になる頃には同居していた祖父母の介護が始まり、入退院を繰り返す祖父母の世話と仕事に追われて忙しくなった母。私もお友達と遊んだり習い事を始めたり、百貨店へ一緒にゆっくり買い物に出る機会はだんだん減っていきました。


■ 置き去りの、母に贈ったバレッタ


久しぶりにその百貨店を訪れたのは小学校何年生の頃だったんだろう、自分の足で結構な距離を歩いて行った記憶があるので高学年になっていたのではないかと思います。クリスマスが近い12月の放課後、下げたポシェットの中にはお小遣いをかき集めた小さなお財布、買いに行ったのは母への誕生日プレゼントでした。

 

一人で買い物に行ったことがあるのは近所の文房具屋や小さなスーパーくらいだった当時の私が、何を思ったのか母に「自分で買ったものをプレゼントしたい」と思い立って向かったのがその百貨店で。

 

お財布の中にいくら入っていたのかも覚えていないのだけど、とりあえず店内をうろうろ何周かしたところで、自分の買えるものはとてつもなく少ないという事実に気づいてショックを受けたのはなんとなく覚えています。手持ちのお金で買えるものの中で何か、と思って店内を見回して、私が手に取ったのはアクセサリー売場の片隅にあったクリスマスのオーナメントがついたバレッタでした。恐らくは子どもか若い人向けだったのであろうそのバレッタは、ポップなクリスマスのオーナメントのモチーフがついている可愛らしいもので。包装してもらって帰って母にプレゼントして、喜んでもらえて数回使ってもらえて。

 

母が喜んでくれた、と嬉しかったのもつかの間、気づけばそのバレッタは母の鏡台にいつも置き去りになっていました。

 

なんだか寂しかった小学生の私。心のどこかで、母は私の贈り物を特別に大事にしてくれて毎日毎日使ってくれると思い込んでいたのかもしれません。

その失敗とおぼしき経験をしていてもなお数回、懲りずに私は冬が来るたびに母への贈り物を探しにその百貨店を訪れました。フワフワの毛がついた手袋、小さなバッグ、チープなアクセサリー……そしてやっぱりあまり使われることなくだんだんと目にすることも減り仕舞い込まれていった記憶があります。

 


その寂しかった記憶は無意識のうちに母へのわだかまりとなっていったのかもしれません。小さかった私は反抗期らしい反抗期を経て次第に母との距離を置くようになり、大人になりました。母へのモヤモヤとしたものを抱えていた私に、息子が3人と、そして娘がひとり生まれ、4児の母になりました。母と同じように、娘を持つ母となりました。

幼稚園帰りの小さな手に握られたきれいな葉っぱやドングリ、私の顔を描いてくれた画用紙、解読が必要な暗号で書かれた手紙、お小遣いの残りで買ってくれた小さなアメ、子どもたちからもらうあれやこれやはどれもとても嬉しい贈り物なのだけど、それを手にするときにふと、母の鏡台の前で置き去りのバレッタを眺めている自分を思い出すことがあります。


■ 贈り合ったものと相手を思う気持ち


大人になった今、振り返ればわかるのです。

 

クリスマスのオーナメントが付いた子どもっぽいバレッタ、母が着けられる場もタイミングもたぶんとても限られていて、そしてそれなりの年齢であった働く母があちこちに着けていけるものではなかったのだということ。クリスマスを過ぎれば場違いだったこと。手袋もバッグもそう、母を僅かばかり喜ばせたのは品物そのものではなくて、私が選んで買って贈った、という事実くらいなものだったんだろうなぁと。

 

小さくきれいな葉っぱは息子の手から渡されることでただの葉っぱではなくキラキラ輝く宝物になるのだけれど、でもその葉っぱたちをどれも今もずっと取っておくかというとそうではなかったりする、日々の慌ただしさのなかでどこかへやってしまった贈り物もたくさん、そんな自分のズボラな日常。これまで見過ごしてきてしまったけど、鏡台の前にぽつり立つ私のように、子どもたちはもしかしたらズボラな私が贈り物を無くしたり放り出したりしていることに気づいて悲しい思いをしてるのかもしれない。あぁ私も母と大して変わらないのかもしれないと恥ずかしく情けなく。

 

そしてそれは、贈り合ったものそのものに対しても同じで。

 

子ども服売場で自分の理想に任せ、よかれと思いひらひらの服を選んでいた母と、自分だけの価値観で相手が喜ぶだろうと思い込み母への贈り物を選んでいた小さな私。贈り合っていたものはお互いきっと一生懸命選んでいたのだけど、いつもお互いピントがずれていて、そして結局独りよがりで相手の気に入る物を選ぶことはできていなかった。結局似た者同士だったんだなぁと。

それに気づいたとき、母へのわだかまりに悶々としていた自分が階段を一段上がったように感じました。私がずっとこだわってきた、抱えていたものの姿が見えたような気がして。

 

そして、一歩足を踏み出した階段の先で小学生になった娘がこちらを見ながら笑っていました。


■ 娘の服を一緒に選びながら


私が好きな子ども服は、ナチュラルな雰囲気のもの。でも彼女が好きなのはビビッドな色合いだったり、ちょっと大人びた色や柄だったり。

娘と買い物に行くと私がこれ可愛いなぁって思う服を勧めても「え?やだ。」「こっちがいい!」って一蹴されることもしばしば。私がネットで買った服を「これはちょっと……」とタンスにしまったままで袖も通さず、お下がりに出したこともありました。

ちょっと寂しいなぁと思いつつも、そうやって自分の意見を素直に言える娘を見るたびに、あの日母のそばでこれが着たいと言えなかった小さな私が少しずつ素直になっていくのを感じたりしています。

 

小学生だった私が足を運んだあの百貨店はバブルの崩壊とともにだんだんとさびれていき、しばらくして閉店。取り壊されて今は違う建物になりました。娘とそのお店に行くことができないのは残念ではあるのだけど、でもあのお店のなかで私が感じていたモヤモヤした小さな頃の記憶も一緒に葬り去ってくれたような、そんな気もしています。

 

私の仕事や習い事でなかなかゆっくり買い物に行けないので、最近の娘の服選びはもっぱらカタログ通販かネットショップで。一緒にカタログや画面を眺めながら、この色がいいとかこれはいやだとかあれこれ話しながら、娘の好みの変遷を感じるのも私のひとつの楽しみになりました。いつか、友達と一緒に出かけたり自分一人で服を買ったりするようになるんだろうなと思うと少し寂しいのだけど、楽しげに出かけていく大きくなった娘の姿を見送る私の後ろに隠れて小さな私が笑っているような、そんなことを想像してなんだか可笑しくなったりするのです。

 

著者:イシゲスズコ (id:suminotiger)

イシゲスズコ

ぼちぼち働く4児のははです。
色々考えたり、ブログ書いたり、子どもたちとあたふたしたりの毎日です。

ブログ:スズコ、考える。