ながさわと申します。年の瀬も押し迫った12月末、フリマアプリに1950年代の古い国語辞書が出品されているのを見つけました。プロフィールによると出品者は若い主婦で、どうやら大掃除のタイミングに合わせて不要な辞書を売るつもりのようです。
すでに持っている辞書でしたが、値段の安さに惹かれて購入を即決。2018年最後の辞書の買い物になるだろうと思いつつ、これまでに入手した辞書の情報を記録しているファイルを開いてみました。どうやら今回の買い物で所有する辞書の数は623冊になるようです。
自宅の本棚の一部
そろそろ収納の余裕もなくなってきました。背丈ほどある木製の書棚4台には辞書がみっちり詰まっており、コンパネで補強している床もわずかに沈んでいる気がします。何とか整理もしたいとは思っているのですが、気づけばまた一冊、また一冊と辞書が増えているのですから埒(らち)が明きません。
何を隠そう、私は辞書のコレクションを趣味としているのです。外国語の辞書や専門用語の辞典なども収集対象ですが、主に国語辞書に狙いを定めています。同じ趣味を持つ人の中には数千冊という単位のコレクションをお持ちの方もおり、本格的な収集を始めて5年ほどの私はまだまだ駆け出しのひよっこです。 5年で600冊ということは年に100冊以上は購入している計算になりますが、最近はペースが上がっており、記録によるとここ半年で100冊近い辞書を購入しています。
2018年からは、同じように辞書の置き場に困っているコレクターの仲間たちと共同で部屋を借り、コレクションの保管場所として、また辞書ファン同士の交流の場として使うという試みも始めました。この部屋のことを、仲間内で「辞書部屋」と呼んでいます。
「辞書部屋」のようす
そんなわけで、辞書収集の趣味はそんなに珍しいものでもない……と個人的には思っているのですが、コレクションについて人に話すと「辞書ってそんなに何種類もあるの?」と聞かれることもしばしばで、この趣味はあまり認知されていないとも感じます。辞書コレクターが一体どんな辞書をどのように購入しているのか、そもそも私がなぜ辞書収集にはまってしまったのか、ここでつまびらかにしたいと思います。
※辞書の引用に際しては、約物や品詞表示などを省略しました。
『新明解国語辞典』(三省堂)との出会い
幼い頃から小学生向けの『くもんの学習国語辞典』『例解学習国語辞典』などをよく引いてはいましたが、辞書の面白さを強烈に意識させてくれたのは、三省堂の『新明解国語辞典』(以下、『新明国』)でした。
ネットサーフィンでたまたま『新明国』のことばの説明(「語釈」といいます)がユニークで笑えるという記述を目にし、辞書を読むという楽しみ方があるのかと衝撃を受けたのが始まりです。
有名なものでは、例えば「動物園」の語釈はこのようになっていました。
強烈です。
以前から『新明国』のユニークさに注目している識者はいましたが、この事実を広く世に知らしめたのは、ベストセラーになった赤瀬川原平の『新解さんの謎』(文春文庫)でした。『新明国』に人格を見いだして「新解さん」と呼び、その世界観をユーモラスに読み解いてみせます。
自宅にも運良く『新明国』があり、私も『新解さんの謎』やネットの記述を読んでは自分でもそれらの語を引いて確かめるという楽しみをするうち、ある当たり前の事実に気づきます。辞書は「版」によって内容が違っているのです。
自宅にあった『新明国』は1997年に出た「第5版」だったのに対して、『新解さんの謎』で主に扱われていたのは1989年の「第4版」。手元の辞書と『新解さんの謎』で引用されている語釈が違っているということが何度もありました。現に、「動物園」の語釈は第5版では以下のように変更されています。
版が改まった際、どこが変わったのか調べ、どうして変わったのかを考える楽しみとの出会いでもありました。
面白いのは『新明国』だけじゃない!
辞書を読む楽しみを知ったものの、『新明国』だけが特別ユニークな存在であり、他の辞書はどれも似たり寄ったりなのだろうという漠然とした思い込みもありました。というか、他にどんな辞書があるのかもよく分かっていませんでした。
そんな私の認識をがらっと変えた一冊の辞書があります。小学館の『現代国語例解辞典』(以下、『現国例』)です。ある語が『新明国』に収録されていないことが気に掛かり、「他の辞書ではどうだろう?」と図書館に足を運んで、そこにあった国語辞書を片っ端から引いてみた時のことです。『現国例』に掲載されている独特の表組みが、鮮烈な印象を放って目に飛び込んできました。
『現代国語例解辞典』第5版 p.341
これは「類語対比表」と名付けられており、その名の通り、似た意味のことばがどのように使い分けられているかについて表の形で分かりやすく示したものです。類語の違いの説明に、こんなにも分かりやすい方法があるのかと、膝を打ちました。
一方、紙面がシンプルで語釈も短く、一見すると味気なく思える『三省堂国語辞典』(三省堂)もありました。その辞書には帯が付いており、他の辞書に先んじてさまざまな新語を収録したとうたっています。なるほど、ことばの説明だけでなく、見出し語の範囲も辞書によって違っているわけです。この辞書は、新語や他の辞書が見落としていることばを的確に立項していることで有名です。
それぞれの辞書の特徴の違いを知りたくなった私は書店に走り、目についた国語辞書を何冊か購入しました。日常的に引き比べたり、ちょっとした時間に流し読みするだけで、あちらの辞書には載っている情報がこちらの辞書には載っておらず、またあちらの辞書ではAとされていることがこちらの辞書ではBと説明されているというようなことに次から次へと直面しました。
せっかく買い物に関するメディアの記事ですので、試しに「買い物」の語をいくつかの辞書で引き比べてみましょう。
②買った物。「―を置き忘れる」
③買って評価の対象となるもの。「よい―をした」
――『集英社国語辞典』第3版(集英社)
②得になる買い物。買い得の物。「あの家はなかなかの買い物だ」
(公)(法)買物
――『現代国語例解辞典』第5版(小学館)
二
(一)買う物。買った物。「子供に頼まれて参りました―もございますし〔仮面〕」
(二)買って利益になるもの。かいどく。「これは安くて―だ」
――『新潮現代国語辞典』第2版(新潮社)
たった3種類の辞書を引いてみただけですが、まず、意味の区分が異なっていることが見て取れます。また、載っている情報も辞書によって違っていることが一目瞭然です。『集英社国語辞典』では「買い物」に「ショッピング」という類義語があることが分かります。一方の『現国例』では、「買い物」の対義語が「売り物」であると示されているほか、公用文や法令では「買物」と表記するという情報もあります。
『新潮現代国語辞典』は近代文学などから用例を拾っているのが特徴で、この項目では二葉亭四迷の「浮雲」と森鴎外の「仮面」から例が引かれています。
また、『旺文社国語辞典』第11版(旺文社)には、小型の辞書には珍しく、「買い物」の子見出しとして、
という項目が立項されていました。周辺的な情報で得られるものも、辞書によってかなり違います。
こうして、一つのことばについて知りたいときに一冊の辞書を引くだけで満足することは決してできないと悟り、一冊、また一冊と新刊書店で辞書を購入していくことになったのです。
同時に、辞書編纂(へんさん)にはさまざまな逸話があることも知りました。辞書の編纂者や編集者が自身の編んだ辞書について述べたものや、インタビューを受けて当事者が編纂の背景を語ったものなど多くの書籍が刊行されており、辞書に込められた哲学を知ることができます。辞書そのものだけでなく、その裏側を知ることで、さらに辞書にはまってゆきました。
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古い版・古い刷にも触手が伸びる
新刊書店で購入できる辞書をあらかた手に入れると、今度はそれぞれの辞書の古い版が欲しくなるのは必然です。すでに『新明国』が版によって大きく内容が異なっていることは知っていましたし、辞書編纂にまつわるエピソードの中にも、改訂によって見出しや語釈を改めたという話が無数に出てきます。どこがどう変わっているのか、この目で確かめたくなったのです。
比較的新しいものは、古本を扱っているネット書店などでわりあい安く手に入れることができましたが、大部分はそう簡単にはいきませんでした。『旺文社国語辞典』や『新選国語辞典』(小学館)など、旧版が「第○版」のような数字ではないために、すぐには改訂の履歴をたどれない性質を持つ厄介な辞書もあります。
さらに、古い版のみならず、「違う刷」にも触手が伸びます。大まかに言うと、内容の大きな修正を伴う改訂を「版」で、同じ版のまま新たに印刷を行う場合を「刷」で数えるのですが、増刷の際にごく一部の内容を改めるということも普通に行われていました。
先に『新明国』における「動物園」の語釈が4版と5版で異なっていると説明しましたが、実はこれはやや不正確なのです。より正確に述べると、この訂正は4版の7刷ですでに行われていたものでした。
『新明国』第4版だけで30冊以上所有しています(写真は一部)
中身が違っているなら、やはりこの目で確認したい。しかし、別の刷の探索は、別の版の購入ほど楽ではありません。
また、古い辞書というのは、現在刊行されている辞書の旧版に限りません。当然ながら、現在では改訂がストップして絶版となり、普通には購入できなくなった辞書というのも山ほどあります。種類の数でいえばこちらの方が圧倒的に多数です。
古い辞書、いったいどこで買えるのか
では、これらの古い辞書たちはどのようにしたら手に入るのでしょうか。大別すると、古書店で買う方法と、ネットで個人から買う方法に分けることができます。
古書店にもいろいろあります。多くの人にとってより身近なのはブックオフに代表される新古書店だと思いますが、新古書店で買える辞書は通販サイトでも買えてしまうことが多く、古い辞書の在庫はあまり期待できません。ただし、値付けが相場より安い場合もあり、出先にブックオフがあればフラフラ吸い込まれて辞書の棚を眺めているなんてことは日常茶飯事です。
本命はやはり、ちんまりと店を構える昔ながらの古本屋です。目的の辞書がはっきりしていれば、全国の古書店が参加する通販サイトの「日本の古本屋」も活用できますが、実店舗に足を運んでまだ見ぬ辞書との偶然の出会いを求めるのもオツなものです。
辞書を集め始めた当初からずっと欲しかったものの、なかなか手に入れられなかった『例解国語辞典』という辞書があります。中教出版から1956年に刊行されたこの辞書は、当時としては秀逸な語釈と豊富な用例が高く評価され、後発の辞書に与えた影響は決して小さくありませんでした。ところが、一般にはあまり日の目を見ることがなく、書店から姿を消してしまいます。辞書ファンには知名度が高いものの、点数が多くなく、入手困難な辞書として知られています。
この辞書との邂逅(かいこう)も偶然に近いものでした。よく通っていた神保町の古書店で、いつものように何冊か辞書を見繕ってレジに運び、会計を待っているタイミングでした。店員の背後の棚に、『例解国語辞典』が並んでいるではありませんか。取り出してもらい、習慣として状態や奥付を確認するものの、はなから買うと決めているのでほとんど上の空です。値段は1万2000円。長らく探し求めていた私にとってはタダみたいなものです。こういう出会いがあるので、古書店巡りはやめられません。
『例解国語辞典』
「ネット経由で個人から購入」も、辞書を集めるのに欠かせない方法になってきました。今では、ネットオークションサイトと、各種のフリマアプリを毎日欠かさずチェックするのが習慣になっています。
ネットオークションやフリマアプリでは、運が良ければ、思わぬ掘り出し物を安く購入することができます。個人からの購入、特にフリマアプリでの買い物は、出品者が辞書の販売に不慣れなことも多く、古本屋ではあり得ないやりとりが起こることもあります。以前、刷を確認するため「何刷ですか」と尋ねたら、「1冊です」と返事があったことがあり、思わず笑ってしまいました。こういうハプニングも楽しみのうちです。
そんなに集めてどうするの
辞書はそれぞれ内容が異なっており、ひとつのことばについても、複数のものを引き比べるとより深い知見が得られます。皆さんも辞書を集めてみてね!
……それじゃあ、600冊も必要なのかと問われると……まあ、普通は必要ないですね。おとなしく認めます。正直なところ、数を集めること自体が目的化している面がないでもありません。コレクターとはそういうものです。とは言うものの、やはり手元に数多くの辞書を置いておくと、役に立つことがそれなりにあるのです。
まず、どうしても手元に置いておかねばならない理由として、収集している辞書のほとんどが図書館に収められていないという事情があります。ときどき「図書館に行けば、そんなに買わなくてもいいでしょう」と言われることがありますが、本当にそうだったらどんなによかったでしょうか。
地域の公共図書館が辞書の旧版を取りそろえているなんてことはまずありません。国内のあらゆる出版物を保管することを使命とする国立国会図書館でさえも、同じ版の異なる刷まで収蔵しているわけではなく、そもそも所蔵されていない辞書すらあるのです。
古い辞書から新しい辞書まで版や刷を追って持っておくことで、一体どんないいことがあるのか。それは、辞書でことばについて調べたとき、単に「辞書にはこう書いてある」と知る段階から、さらに深く「どうして辞書にこう書いてあるのか」というところまで考えるステップへ進めるということだと考えています。
「まつる」という語を例にとって考えてみます。『岩波国語辞典』(岩波書店)の最新版である第7版新版で「まつる」を引くと、
と説明されています。 なんの変哲もない語釈に思えます。しかし、版をさかのぼってみると、1963年の初版では、これが
となっています。続く第2版(1971年)では
と表現が変わり、現在の語釈になったのは第3版(1979年)からであることが分かります(用例の追加は第5版)。単に正確性を期しただけのようにも思えますが、この変化には特別な事情があるかもしれません。他の辞書も引いてみることにします。
小学館の『新選国語辞典』の場合、1987年の第6版から「まつる」の語釈は現在と同じ以下のものになっています。
動詞の項目なのに「こと」で終わっているのが不自然ではありますが、詳しい説明です。ところが、これ以前は
というごく短い語釈でした。『旺文社国語辞典』でも状況が似ています。旧版では
などという語釈だったものが、1973年の新訂版では以下のように改められました(その後の版でさらに修正)。
古い版に比べて異様に詳しく、『新選国語辞典』における変化とも似ています。異なる辞書の修正でこうも足並みがそろっていると、何もないと考える方が不自然です。
実は、この変化を引き起こした理由ははっきりしているのです。雑誌「暮しの手帖」第10号(1971年)に掲載された「国語の辞書をテストする」という特集で、各社の辞書が軒並み「まつる」など多数のことばの語釈で誤りを犯していると指摘したのです。
同誌では、複数の辞書が同じ過ちを犯している理由を、辞書を作る際に参考にした先行辞書の間違いをそのまま引き写してしまったためだと推測しています。この指摘を受け、それぞれの辞書は「まつる」などの語釈を再検討し、書き改めたようです。
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§ § §
このように、ひとつのことばについて異なる種類の辞書同士を比べ、またそれらの辞書の古い版・刷の記述も確かめることを、私はよく「タテとヨコに比べる」と表現しています。通時的な比較が「タテに比べる」、共時的な比較が「ヨコに比べる」ということです。
辞書の世界を縦横無尽に余すところなく楽しむため、私は今日もまた辞書を買い漁るのです。
著者:ながさわ (id:fngsw)
一介の辞書コレクター。暇さえあれば辞書を引いている。
ブログ:四次元ことばブログ
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