ノーベル物理学賞を受賞したアメリカの物理学者、リチャード・P・ファインマンの人生の軌跡を振り返る自伝的エッセイ集『ご冗談でしょう、ファインマンさん』(岩波現代文庫)の魅力を冬木糸一さんにご紹介いただきます。物理の知識がなくても読めるのに、物理の面白さを味わえる。そんな本書の読みどころをたっぷりお伝えします。
「誰もが知るあの名作を、いつか自分も楽しみたい」
「でもお金も時間も体力も有限だから、名作に手を出す“きっかけ”がほしい」
……と日頃から考えている方も多いでしょう。
そこでソレドコでは、「今から読んだり観たりできるのがうらやましい!」というテーマで名作をセレクト。各ジャンルのコンテンツに精通する書き手の皆さんに、その名作の魅力を余すことなくご紹介いただきます。
今回、冬木糸一さんがセレクトしたのは、物理学者・ファインマンのエッセイ集『ご冗談でしょう、ファインマンさん』です。
画像参照元:楽天ブックス
今から読める人がうらやましい「名作」の中でも、ノンフィクションのジャンルで何かありますか、と聞かれて今回紹介することになった、冬木糸一です。いろいろな候補がある中で、僕が選んだのは『ご冗談でしょう、ファインマンさん』だ。ノーベル物理学賞を受賞したアメリカの物理学者、リチャード・P・ファインマンの人生の軌跡を振り返る自伝的エッセイ集で、現在は岩波現代文庫から上・下巻で刊行されている。
この本を選んだ理由は無数にあるが、第一に、無類に面白いから、というのがある。
物理学者によるエッセイは数あれど、これを超える面白さのものは読んだことがない。とはいえ、僕がこの本をはじめて読んだのは10年以上前のこと。現代の価値観のもと改めて読んで、がっかりする内容だったらどうしよう……と、推薦するにあたって心配する側面もあったのだが、数ページ読み直しただけでそんな不安も消し飛んでしまった。記憶にあるよりずっと面白い。あ、こんな面白い本だったのか、と「今から読める人がうらやましい」という感覚を、僕自身が味わうことになった。
物理の難しい話はほとんどナシ
物理学者のエッセイといっても、物理の難しい話はほぼ出てこない。17、8歳の頃に叔母が経営するホテルで雑用係として働いた話とか、幼少期にラジオを直しまくった話とか、ナンパに明け暮れた話とか、マンハッタン計画進行中のロスアラモスで核関連の機密情報が詰まった金庫を片っ端から破りまくった話──などなど、(倫理的な問題もあるが)シンプルに笑って読める話が多い。しかしそうした「すべらない話」が、いつのまにやら物理や数学の話へとつながってくる。ファインマンの語り口を聞いていると、物理や数学が日常をいかに面白くするかがよく分かる。
そういう意味では、本書は「ファインマンを身近に感じるエピソード集」であると同時に、物理や数学と私たちの日常をつなぐ一冊なのだ。
これを書きながら思い出したが、ファインマンには他にも、『ファインマン物理学』──こっちは物理学の教科書だ──という名著があって、僕もこの『ご冗談でしょう、ファインマンさん』を読んだ直後に、完全な文系人間であったにもかかわらずこの本を取り寄せ、中学数学からやり直しながらよく分からないなりにも読み進めたものだ。それほどにこの『ご冗談でしょう、ファインマンさん』が面白く、これを読んだ後、物理や数学についてもっと知りたいと思わずにいるのは難しかったからだ。
ファインマンが「天才」と呼ばれた理由
本書の魅力は無数にあるが、一つ挙げるならば、「ファインマンという天才を解剖していく」過程にあると思う。
一般的に天才物理学者のエピソードはだいたいどれも面白い。みな神童やら天才と呼ばれ、人の度肝を抜くようなエピソード満載だ。ファインマンと同時代を生きたジョン・フォン・ノイマン(アメリカの数学者)は幼少期から7カ国語を操っていたそうだ。ファインマンもそんな“天才性”に溢れているのだが、彼が面白いのは「なぜ自分が天才と呼ばれたか」を自分で見事に解説しきっているところだ。
ファインマンは幼少期から疑問に思ったことやパズルや謎をとにかく自分で解き明かさねば気がすまぬ性分だったようで、彼のもとに謎が持ち込まれるとなんとかしてそれを解こうとしていたそうだ。
そして、幾何のパズルや数学の難問などが彼のもとに続々と持ち込まれるようになり、彼は時間をかけて粘り強くそれを解く。そのうち別の人間が同じ問題を持ってくると、さっき解いた問題だから一瞬で解けてしまう。要は、最初にその問題を持ってきた人からすればファインマンは「頑張ってパズルを解いた人」だが、後から同じ問題を持ってきた人からすると「瞬時に謎を解く超天才」になる、というカラクリである。
とはいえ、誰もがファインマンのように粘り強くチャレンジし続けられるわけではない。ファインマンを天才たらしめているもう一方の要素、それは、どんな謎にも興味を持つ「好奇心の強さ」だ。
例えば、「小便は重力で自然に体から出ていくのかどうか」を、大学の仲間と議論した際、そうではないことを証明するために逆立ちして小便してみせたり、科学雑誌の『サイエンス』でブラッドハウンドという犬の驚異的な嗅覚が紹介されているのを読んで、「じゃあ、人間はどれぐらい鼻がきくものなんだろうか?」と、病院の妻を見舞うついでに実験を行ったりする。
自分の専門かどうかは関係なく、とにかく気になるもので自分が確認できそうなものは手当たり次第に確認していくのだ。彼は絵も描くし、ドラムも叩くし、生物学の実験もする。日本やブラジルなど異文化に飛び込む時も、まずは相手の国の言葉を学ぶところから始めて、できるだけその土地固有の文化を体験しようとする。そして、先に書いたように、そうやって時間をかけて確認したことを、別の機会で何気なく披露するから「天才」に見えるのだ。
彼はすでに世に知れ渡っている問題であっても本当にそれが正しいのかを疑い、自分で考え直してみる──高校時代は問題や定理を発明することにこだわり、自分で考えた証明手法で三角法(直角三角形の辺の比によって決まる三角比を用いて、図形に関する計算をする方法)を見出したり──。
当然、探せば教科書に載っているものなので、「車輪の再発明」として時間の無駄になる側面はある。しかし時にはファインマンが見つけたやり方のほうがよほどマシで、教科書の証明法が複雑すぎることもあるし、自分で試行錯誤して作り出した道具や結論だから、王道のものとは「毛色の違う価値」が生まれていることもある。だからこそ、役に立つことも多いのだ──という教訓が、本書では手を変え品を変え語られている。
もちろん、この本を読んだからといってファインマンのような無尽蔵の好奇心や行動力を得られるわけではないだろう。しかし、ほんの少しだけ、その思考に触れることはできる。
人生のどの局面で読んでも、きっと得るものがある一冊だ。
紹介した作品
- 編集部員が見つけたお得情報も発信中! X(Twitter)を見る
- 推し活に役立つアイテムやハウツーを紹介! Instagramを見る
冬木糸一 SNS:@huyukiitoichi ブログ:基本読書
SFマガジンにて海外SFレビュー、本の雑誌で新刊めったくたガイド(ノンフィクション)を連載しています。honz執筆陣。ブログは『基本読書』 。