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「推し」で心は満たされるのか。心理学の専門家と探る、推し活の“本質”

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推し活をしている人が「これ良い!」と思ったものを紹介しています

アイドルや二次元キャラクターなどを応援する「推し活」。その最中、私たちは強い幸福感や充実感を覚えます。一方で、推しがいるからこそ悩んだり不安になったりすることもあります。推しという存在は、私たちの心にどのような影響を与えるものなのでしょうか。

そこで今回は、心理学の領域で推し活を研究されている、人間環境大学の二宮有輝さんに、推しと心の関係についてお伺いしました!


お話を聞いた人:二宮有輝さん

臨床心理士・公認心理師。名古屋大学博士(心理学)。学生相談や児童精神科、公立中学校の常勤スクールカウンセラーでの勤務を経て現職。児童青年期のwell-beingを中心に、心理的援助に幅広く関心を持っている。

HP:人間環境大学 二宮研究室 Webサイト

推し活は「心の問題」に向き合う糸口になることもある

――今日はよろしくお願いいたします。まず二宮先生の研究分野について、簡単に教えていただけますか?


二宮有輝先生にオンライン取材をしている様子

取材はオンラインで実施しました

二宮先生(以下、二宮):児童から青年の心理的な支援がメイン(の研究分野)ですが、特に専門分野を設けているわけではなく、その都度気になったことを研究しています。特徴を強いて挙げるなら、常に「当事者の視点から(心理的なテーマを)掘り下げること」でしょうか。心理学の研究と言えば、アンケートなどで心をデータ化する手法が多いのですが、それだと”数値にできること”にテーマが絞られてしまいます。そこで私は当事者の感情や視点を深掘りするため、専ら自由記述のテキストデータなどを分析しています。

――「推し」という概念も、当事者の視点なくしては深掘りできないですよね。そもそもなぜ推しに着目されたのでしょうか?

二宮:私自身、多少オタクなところはあるのですが、特定の推しがいるわけではありません。だから彼ら、彼女らが「何を推しているのか」がよく分からない。だけど、以前スクールカウンセラーをやっていた頃も、大学教員をやっている今も、学生からはよく推しの話を聞きました。

それと、私は普段臨床心理士の仕事もしているのですが、学校に行けない子どもと接する中で、「自分の抱えている悩みは話せないけど、自分の好きなこと――推しについては話せる」というパターンを何度も目にしてきました。話しているうちにいつのまにか学校に行けるようになることもあって。そうした経験から、そもそも推しってなんだ? と興味を持ちましたね。

――推しについて話すことが、心の問題の解決につながるケースもあるのですね。

二宮:全員がそうとは限りませんが、突破口とか、問題に向き合う糸口にはなりえます。自分の好きなことを他人に聞いてもらって、分かってもらえるという経験が、その人の力になるのかもしれません。

これは臨床心理士的な考え方ですが、その人の好きなものにはその人自身のことが投影されているんです。つまり、「ある対象が好きな理由」に、その人の持つ問題が隠されていることもあるわけです。

――その感覚、なんとなく理解できます。そう考えると、推しとは不思議な存在ですね。単に「好きな人」とも違うといいますか……。

二宮:研究途中なので詳しいことは分からないのですが、どうやら「かっこいいから」とか「こういう特徴があるから」とか、そういう表面的なことと推しの感情にはあまり関係がないようなんです。

――それは意外でした。「なぜ推すのか」という心の動きは、ちょっと不思議ではあります。友人や家族ほど近しい関係ではない、まったく知らない人を人生をかけて応援したいという欲求がどこから生まれてくるのか。

二宮:ざっくりと「応援することによって何かを得られる存在」が推しなのではないかと。推しに関する文献も参照したのですが、同じように「自分自身がどう感じるか」で推しが定義されると指摘しているものが多いですね。

価値観が多様化する社会で「人生の意味」を見出すための推し活

――そもそも推し活をすると、人は「幸せ」になるのでしょうか?

二宮:好きなことに熱中する行為と幸福感の関係について、明確なエビデンスをもとに分析した研究は、現時点でほとんどありません。そもそも、推しはポップカルチャーの世界で生み出された概念ですし、アカデミックな領域ではあまり扱われてこなかったんです。

ただ、経験則的に、推しの存在は個々人の心に重要な意味を与える、とは考えています。というのも、推しは自分を形作っていくために必要な要素だからです。

「〜のようになりたい」というロールモデルを持つことは、心の発達に大きな影響を与えます。そのロールモデルは一般的に親や先生などの身近な人ですが、アイドルや二次元のキャラクターでもロールモデルになりえるでしょうね。

――そうですね。今の時代、推しをロールモデルにしている人も感覚的に珍しくないと思います。

二宮:あとは自分が好きなものを他人に伝える「自己開示」にも意味があると考えています。それによって他人と仲良くなれたり、推しへの想いを自分で再確認できたりしますから。

――「推しへの想いを自分で再確認する」とは、自分の輪郭を確認する作業のような?

二宮:はい。その意味で、推し活は自己表現の一つと言えるのかもしれません。例えば二次創作は推し活の一つとも言えますが、それも自己表現で推しへの想いを再確認する行為であり、他人からのフィードバックを通して自己実現する行為だと思うんです。

――ロールモデルを親や先生だけでなく推しにも見出すというのは面白いですね。子ども時代と大人時代ではロールモデルも違ってくるし、推すモチベーションも変わりそうですね。

二宮:そうでしょうね。ロールモデルの拡大については、人生における選択肢の多様化が背景にあるとも思います。選択肢の増加は基本的に喜ばしいことである一方で、どう生きていけばいいか分からない、目標を持ちづらいと感じている人もまた増えているでしょう。目の前のことを頑張って報われるとは限らない、良い人生を送れるかも分からない。そんな世の中において、推し活は「人生の意味を見出す行為」なのかもしれません。

「同担拒否」にもバリエーションがある?

――話がそれますが、SNSなどでは推し活とナルシシズム(自己愛)の関係がしばしば語られます。つまり、推しを愛しているようで、実は自分が思い描いている理想像を投影しているに過ぎないのではないか、と。こうした意見について、どう思われますか? 先ほど出たロールモデルのお話ともつながるような気もします。

二宮:たしかにナルシシズムとして捉えられる部分はあると思います。例えば推しの成功をあたかも自分自身の成功であるかのように捉えたり、同じ推しを応援する他人から羨ましがられて承認欲求が満たされたりすることは自己愛的なプロセスでしょう。ただ、それは別に悪いことでもないと思うんですよね。行き過ぎると良くないかもしれませんが……。

それに、全ての推し活が自己愛につながっているわけではありません。推しに共感したり、純粋に応援したりすることも推し活ですし、それらは自己愛とは違うものだと思います。

――なるほど。「同じ推しを応援する」という文脈では、「同担拒否」といった概念もありますが、これはどういった心理が働いているのだと思いますか?

二宮:あくまで予想ですが、「一次的な同担拒否」「二次的な同担拒否」があると思っていて。前者は推しとの関係や推しのあり方が自分のアイデンティティにとって重要過ぎて、他人が同じ人を推すこと自体が受け入れられないということ。後者は環境的な要因、つまり経験によって同担を拒否するようになったもので、同担のファンと何かトラブルがあって拒絶するようになること。同じ同担拒否でも、心のありようは違ってくると思います。


同担拒否のイラスト

仲良くできないのには理由がある?

――あまり考えたことがなかったのですが、同担拒否もいくつかバリエーションがありそうで興味深い。最後に、今後の研究の展望についても伺えますか?

二宮:何がきっかけで推しができるのか、推しとはどういう存在なのか、推し活で人は幸せになれるのかといったテーマは研究していきたいですね。

あと最近うちのゼミでよく話題になるのが「夢女子」です。自分と推しの恋愛関係を妄想したり、それを創作物にしたりする層のことですが、いわゆる“ガチ恋”と夢女子はどう違うのかというと、まだよく分かっていません。ガチ恋の人は他のファンに嫉妬するけれど、夢女子は嫉妬しないといった違いがある、などの見方を学生が教えてくれたりしますが、本当かどうかはこれから検証する必要がありますね。

――たしかに。微妙な違いかもしれませんが、掘り下げるととても重要な示唆が得られるかもしれませんね。

二宮:はい。推しと自分の関係性を、ある一面から解き明かすことにもつながりそうです。

――二宮先生の研究が進むと、推し活の中身や推し活をする人の心理に対する解像度がグッと上がりそうですね。本日はありがとうございました!


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