私たちが日々、情熱を傾けている「推し」。でも、そもそもなぜ推しは「推し」と呼ばれるんだろう?推し活って何なんだろう――?
今回は「推し活」などのファン行動について研究する甲南女子大学教授・池田太臣さんに「推し活」の起源や推し活で得られるもの、そしてちょっぴり気になる“推し疲れ”など、推し活にまつわるあれこれを聞いてみました!
お話を聞いた人:池田太臣さん
甲南女子大学人間科学部 文化社会学科教授。専門分野はファン研究、サブカルチャー論、理論社会学など。「女子」や「ファン」の研究に精力的に取り組む。著書に『「女子」の時代!』(青弓社)などがある。 自身は高校時代から「週刊少年ジャンプ」の愛読者で、『ONE PIECE』のトラファルガー・ロー、『呪術廻戦』の乙骨憂太が推し。特撮ファンでもある。
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「推し」という言葉は、いつ生まれたの?
――今日はよろしくお願いいたします。さっそくですが、池田先生が取り組まれている研究についてご紹介いただけますか?
池田先生(以下、池田):僕の研究している分野は「社会学」です。もともとは社会学の学説・理論研究をしていました。2005年から現在の勤務先である神戸市の甲南女子大学という女子大で教えるようになりましたが、そこで学生たちとコミュニケーションをとっているうちに、「学生たちももっと主体的に関われるようなテーマがないか」と思うようになって。また、女子大学にいるんだから、女性に関わるテーマで話せないかと模索するようになりました。
そうした中で、あるときふと、アイドルやアニメなど、何かに没頭している“オタク”である学生たちが多いことに気づきました。そこで、女性オタクの研究をしたら面白いのではないかと考え始めまして、2012年に『「女子」の時代!』という本を大学の仲間たちと出版し、今も「オタク」「推し活」などをキーワードに「ファン研究」をしています。
――「推し」という言葉は、そもそもいつごろ生まれたんでしょうか?
池田:はっきりとした起源は明らかになっていませんが、モーニング娘。のファンの間ではすでに使われていたようです。
その後、AKBグループのファンも「〇〇ちゃん推し」といったように「推し」という言葉を使うようになり、さらにアイドル側・運営側もそれを認知して使い始め、大きく広がっていったのだと思われます。
2022年度の文化庁の調査*1によると、「気に入って応援している人や物を“推し”と表現すること」に違和感がないという人の割合は80%以上。自分が使うかどうかには年代によって差がありますが、言葉自体は広く認知されているといえます。
それまで使われてきた恋愛感情を想起させる表現や、「萌え」よりも軽いニュアンスで、カジュアルに「ハマっている感」を示せる言葉として親しまれるようになったのかもしれません。
――「推す」という言葉には単なる好意だけではなく応援のようなニュアンスも含まれているように感じます。
池田:AKB48の総選挙みたいなイメージですね。総選挙が話題になることで、“ファンがアイドルを応援すること”がはっきりと、分かりやすく可視化され、世間的に共有されたように思います。もちろん、いつの時代もファンはアイドルを応援してきたわけですが、その側面がより強調されるようになったといえるでしょう。
それまでは「鑑賞用」「保存用」といった表現(意味づけ)で複数買いが行われていましたが、総選挙などのようにCDを買ったり、あるいはグッズをたくさん買ったりして推しを「応援」するような意味づけが際立つようになる。「これは推しのためだから」と、自分の欲望に理由がつくので、自分自身でも納得しやすいと思います。これも現在の「推し活」の際立った特徴といえますね。
推し活は好きを表現する“遊び”。新しい人間関係としても注目!?
――池田先生の研究では、「推し」や「推し活」はどのように定義されていますか。
池田:社会学的な定義は今のところありません。私自身は、ファン行動とは自分の好きな対象=推しを認識し、それに方向づけられた何らかの行動をとることと定義しています。そして、それらの行動はまた「遊び」であるとも捉えています。
――「遊び」ですか?
池田:はい。簡単に言うと「『好き』を感じる遊び」ですね。アイドルやコンテンツから何らかの情報やサービスなどが投下されて、それを受け取った側が何らかの反応を表現する。これがファン行動です。
さらにそれは、人によってさまざまな形をとります。ファンアートを描くとか、文章にして発表するとか、仲間と語り合うとか……。このようにいろいろな形で「好き」を表現し、感じる遊びこそが、「推し活」だと捉えています。推し活=「好き遊び」ということですね。
――推し活の内容は、どのように分析されていますか。
池田:推し活には大きく分けて2つの領域があると思っています。
一つは公式のグッズを買う、イベントに参加する、といった提供されたサービスの消費という形のファン行動。もう一つは生活の中に推しを取り入れるという形のファン行動です。例えば“ぬい”(推しの姿をかたどったぬいぐるみ)やアクスタを持って出かけたり、推しカラーの小物を身につけたり……。
――身に覚えがありすぎる! それに、どちらもやっているという人も多そうです。
池田:使い分けているという人は多いでしょうね。前者はお金もかかるし、機会が限られることも多いです。アイドルを推している人であれば、最大のイベントであるライブやコンサートに向けて、後者のような行動をして「推し」を近くに感じながら情熱を維持し、気持ちを高めていく……という感じかもしれません。
――先生が書かれた「一方的だけど、一人じゃない~“推しと私”の『人間関係』~」では、推しと自分の関係性が「新しい人間関係」であるというお話もありました。
池田:『推し、燃ゆ』(河出書房新社)で芥川賞を受賞した作家・宇佐見りんさんがインタビューで「推しと自分の(一方的な)関係が家族や友人、恋人といった人間関係に引けをとるものだとは思わない。一つの新しい人間関係だ」というようなことをおっしゃっていて、そのように捉えることが可能ではないかと僕も考えています。
――確かに、推しの存在ってすごく大きいし、自分の行動や判断のカギになっていることも多いかも。
池田:推しへの好意は確かに一方的なものです。でも、推しのためにこうしたい、あれを買おう、あれをやろう、と考えているとき、心の中には常に推しがいるはず。それってもう「一人でいる」状態とは違うし、だったらそこに「人間関係がある」と考えてもいいのかなと考えています。
いろいろな解釈があるので、まだ議論や研究の余地はあると思います。これは一つの問題提起でもあります。そう考えることで、「じゃあ、そもそも人間関係って何なんだろう?」という疑問も出てくるかと思います。そういう問題を提起していくことも、ファン研究の意義の一つでしょう。
――どうしてこれだけ多くの人が推し活にハマるのでしょうか。
池田:推し活は「遊び」なので、誰からも強制されないという点が関係しているのではと考えています。推し活に限らず趣味活動は、社会生活を営むうえで数少ない「自分で選べるもの」。会社員や学生、親、子どもなど、社会から与えられた役割から離れた「個人」として楽しめる場としての魅力があり、だからこそ多くの人が楽しんでいるのだと思います。
いずれにせよ、推しとの関係を重要な関係と考えている人たちが一定程度いて、その人たちがある範囲の文化を形成している。今後、そうした文化のあり方が社会のなかでどのように位置づけられていくのか、興味深いところです。
自分の生活バランスを守って、持続可能な推し活を!
――ファン同士の交流も活発になりましたよね。
池田:そうですね。SNSがあることで推し仲間ともつながりやすくなりましたし、ファン活動も充実させやすくなっていると思います。お金をかけなくても「友達と推しについて語り合う」という活動もできますから。
またアイドルが直接SNSで発信することも増えています。フォロワーとのコミュニケーションや、情報に触れる回数を増やすことでファンに親近感を抱いてもらうことができるため、コンテンツを供給する側にとっても有用ですね。
――一方で、SNSがあることで他の人の充実した推し活や、推しの頻繁な情報更新などを目にしてしまい、窮屈さやつらさを感じてしまうこともあります。「推し疲れ」という言葉もあるようです。
池田:確かに、グッズをたくさん集めている人や頻繁に現場に参戦している人を見てしまうと、競争心から「自分もやらなきゃ」と思ってしまう人もいますよね。でもお金や時間の都合でどうしてもそれができなくて、なんだかファンとして負けているような気持ちになってしまう……。
――これって、避けられないものなのでしょうか。
池田:思い出してほしいのが、推し活は「好きを感じる遊び」だということです。
推しと出会って推し活を始めるときって、それを自分で選んで推し始めますよね。誰かに仕事や勉強のように「やりなさい」と言われるものではないはずです。強制ではないんですよ。
SNSをしていると、有益な情報や友人関係が得られるのと同時に、他の人がどのような活動をしているのかも見えてしまいます。また、自分自身も他のファンから見られているように感じるので、負けないように推し活をアピールをしなければ! と思ってしまいがちです。
もちろん推し活は100%が思い通りにはなりません。人気投票で推しを1位にしてあげられなかったとか、ライブチケットの抽選で外れてしまったとか、残念な思いもたくさんします。そのときに考えるべきは、「他ファンと比べて……」ではなくて、自分の今の状況をどう“次の自分の楽しみ”につなげられるかではないでしょうか。
――推し活は推し仲間との競争ではない、ということですね。
池田:もちろん、そういう楽しみ方もあると思います。「AさんはCDを10枚買ったのか、じゃあ20枚買っちゃおう!」みたいな。それはそれで、楽しいです。でも、それが義務になってしまったり、自分のリアルな生活を侵食してしまったりすると、とたんにつらくなります。あくまでも遊びの一環であって、「自分が楽しいと思える推し活」こそが、持続可能な推し活だと思います。
――持続可能な推し活!
池田:僕は推し活を「遊び」と表現しましたが、本気で遊ぶからこそ、本気で心動かされて楽しいんですよね。「遊び」ですから、全てが自分の思い通りになったらまったく面白くない。かといって、あまりにも義務的になりすぎて、自分を失うのも楽しくないでしょう。
遊びなんだから、疲れたら休んでいいんです。「疲れる」というのは、刺激に対する心の防御反応ともいえます。「もういいかな」と考えるチャンスでもあるかもしれないし、「それでもまだやりたい!」と推しに対する気持ちを新たにするかもしれない。
「疲れた」という自分の気持もまた、「推し」への気持ちと同じように、大切にしたらいいと思います。自分の気持ちや生活とのバランスをうまく調節しながら、長く推し続けてほしいと思っています。
――池田先生、ありがとうございました!
聞き手:藤堂真衣
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