はじめまして、テレビ朝日の松井康真と申します。プラモデルクラブ「ろうがんず」のメンバーです。
プラモデルを趣味とする方は多くいらっしゃいますが、その中でも俳優の石坂浩二さんは、プラモデル歴なんと60年という大ベテラン。石坂さんは2009年に「ろうがんず」を立ち上げました。
私も発起人の1人で、石坂さんと共に各種展示会やイベントなどの運営に関わっています。
今回、あらためて我らが石坂会長に、俳優業のお話も交えつつ、60年にわたる“プラモデル沼”について伺いました。ぜひ石坂さんのプラモデル人生をご覧ください。
聞き手の私、松井康真は普段はテレビ局に勤務していますが、実はプラモデルを使って仕事に活かしたりしています。
石坂会長とはお互いにプラモデル沼の住人、予定時間の倍近くの時間をかけても話し足りない事態になってしまいました。
お話を伺った人:石坂浩二(いしざか こうじ)
1941年、東京生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、劇団四季の演出部に入団。その後俳優・ナレーターなど多方面で幅広く活躍。出演作は、NHK大河ドラマ『天と地と』『元禄太平記』『草燃える』、ドラマ『ありがとう』『やすらぎの郷』、映画『犬神家の一族』など多数。熱心なプロモデラーとして知られるほか、画家としても活動。プラモデルクラブ「ろうがんず」主宰。
※取材は、新型コロナウイルス感染対策を講じた上で実施しました
「ろうがんず」の活動はプラモデルへの恩返し
プラモデルにハマって救われた。プラモデル界へ恩返しがしたかった
松井
石坂さんが主宰されているプラモデルクラブ「ろうがんず」ですが、2009年に立ち上げたきっかけについて、あらためて教えてください。
石坂
僕は子供の頃から今までプラモデルにはまり込んできて、プラモデルに本当にいろいろな意味で助けられてきました。落ち込みそうな時でもプラモデルを作っていたら何だかよくなったとか、仕事がうまくいかなくても何か一つ完成させると達成感が得られて、それで満足したとか。
そこで「プラモデルにお礼をしたい」「恩返しをしたい」と思ったんです。
石坂
プラモデルを作る人に向け、「ろうがんず」という場を使って、「ずっと作り続けていくとプラモデルに助けてもらえることだってあるんだよ」ということを発信したかったのが理由の1つです。
もう1つの理由は、同年代でプラモデルを作る人たちがいるのに、みんなどうしていいかわからないようなのです。だったら、同じような考えを持つ人と一緒にグループを組んで活動をしようと考えました。サークルにすれば、人が集まることによって発信を外に広げていけるので。
「ろうがんず」部室入り口のロゴマーク
松井
確かに「ろうがんず」の結成当時から、キャッチフレーズは「模型界への恩返し」ですよね。
ちなみに、私は結婚する時に妻にプラモデルを作る趣味について伝えたのですが、それでも子供が生まれてからプラモデルを作っていると「パパは遊んでいる」みたいなイメージになっていまして。
ところが石坂会長のもと始まった「ろうがんず」に加わった際に、家族に「石坂浩二さんがプラモデルのサークルを作って、実は僕も入ることになったんだ」と伝えたら、「えっ? 『なんでも鑑定団』のあの人? すご~い!」という反応で、娘の見る目がガラッと変わって、急にプラモデル作りの家庭内社会的地位が上がりました(笑)。
もっとプラモデルを知ってほしいから、石坂さんのポケットマネーで始めたコンテスト
松井
2014年からは、石坂会長のポケットマネー50万円を賞金として提供するプラモデルコンテストの「ろうがんず杯」も始まりました。そのきっかけについて、ぜひ会長からあらためて。
石坂
プラモデル界に恩返しをするためには、「プラモデルというものが世の中にある」ということを、もっと広く知ってもらう必要があります。
プラモデルというと「ガンダムですか?」といわれる時代になりつつあるので、「スケールモデルというものが存在する」ということを広めたい。
なかなか賞金を出すプラモデルのコンテストがないので、「賞金を出す『ろうがんず杯』をやります」と告知しました。
松井
私もろうがんずの一員なのでこの場で宣伝しておくと(笑)、ひとりだけでなく、メンバーみんなで作る共同作品というものもあるんですよ。
残念ながら来年(2021年)1月のろうがんず杯は開催を見送ったのですが、オンラインで開催した10月の「ろうがんず展2020リモート」の展示では「帝国艦隊の連合艦隊140隻をみんなで作って全部並べましょう。あなたの担当は戦艦〇〇と駆逐艦〇〇で……」と、隊形を組みました。艦隊の隊形には意味があるので、一つでも欠けてはいけないんです。
松井
140隻全部担当者が決まっていて、絶対に間に合わせなくちゃならないから、最後は「この歳になっても徹夜とかもやりまっせ」くらいの意気込みです。
製作途中画像をメールやLINEでみんなで送りあって、「うわー、ここよく工夫しましたね」とか「どうやって作ったんですか」とか、それがサークルの楽しさですよね。
石坂
ひとりで140隻作ると何十年もかかりますからね。そこはサークルならではの活動ですね。
松井
もしサークルに入ってなかったら、「いつか作ればいいや」なんて放り出しちゃうんですよね。今回は初めての試みとなるリモート展示でしたし、次は11月8日(日)~11月22日(日)の2週間、「静岡モデラーズ合同展示会」で160隻に増やした展示をすることも決まりましたから、責任重大です。
2020年10月18日(日)に生配信された「ろうがんず展2020リモート」のアーカイブ動画
「ろうがんず」を契機にプラモデルの社会的地位向上をしていきたい
松井
「ろうがんず」の普段の活動もあわせて紹介いただけますか?
石坂
だいたい月1回、部室に集まっています。いろいろな催し物があるので、次の催し物に関する話し合いがメインです。あとは飲み会ですよ。「新しいキットを作ってみた」「古いものがあのお店で売っている」などの話をしますね。
松井
読者の皆さんは「月に一度のサークル」で「石坂浩二さんが会長の飲み会」と聞くと、もしかしたら「すごいシェフが来てケータリングもあって」みたいなイメージを持たれるかもしれません。
しかし、実際には「はい、みんな1人1,000円ずつ出して」とその場でお金を集めて、コンビニやお弁当屋さんに買い出しに行っています。
あとは部室の近くにスーパーがあるのでお総菜を買って、そうこうしていると石坂会長が頼んだ酒屋さんが冷えたビールなどを持って部室に到着(笑)。
石坂
5時過ぎにスーパーへ行けば20%引きのシールが貼られるので、それを待って、お寿司の売れ残りを買ってきたりしますよ(笑)。
松井
「ろうがんず」は設立からまだ10年ほどですが、「石坂浩二」の名前が付いているので、注目度がものすごく高いんですよね。
「ろうがんず」で模型サークルの展示イベントに参加すると、なぜか入り口のど真ん中の特等席になってしまう。その分プレッシャーはかかりますが、「我々はうまい人ではない」と公言し続けています。プラモデルといえば「社交性のなさそうな人が作る」というイメージを未だに持たれがちですが、みんな実は良い人ですよね(笑)。
石坂
そうそう(笑)。世間が「プラモデルは暗い人が作ってる」って思ってるから、なかなか自分から「プラモデルが好き」と言わない人が多いですよね。
「ろうがんず」の活動で、おかげさまで世間にいくぶんか「私がプラモデルを作る」ということが知られて、他の芸能人の方々でも「僕もプラモデルを作っています」と言う人が出てきましたが、それまではプラモデルの話題で話しかけてくる人はいませんでした。プラモデルを作ることの社会的なステータスが上がればいいと思っています。
松井
展示会では「石坂浩二さん主宰のろうがんず」だからこそできる芸能人コーナーを作るんです。
GLAYのHISASHIさんや春風亭昇太さん、東儀秀樹さんに、ご本人に来ていただくのは難しいでしょうから「作品だけお借りできますか?」とお願いして、作品を展示させてもらったこともあります。パンクブーブーの佐藤哲夫君もすごいんですよ。吉本プラモデル部を作って部長になっています。
松井
石坂会長は他のサークルの人とも気さくにお話しされますから、「ろうがんずが隣のブースなんだよ」「石坂さんとしゃべったことあるよ」という人が増える。そこからプラモデルファンが広がっていますよね。
「達成感がすごい」「ひとりでいつでもできる」石坂さんのプラモデルの楽しみ方あれこれ
プラモデルという趣味の楽しみ方はたくさんある
松井
俳優になられてから今まで、プラモデル作りが続いているということですね。
石坂
続いてますね。20歳から俳優の仕事を始めたと考えると60年です。
大学の時に芝居に集中した時期と、劇団四季に入った頃の2回だけ、忙しくてやっていませんでしたが、それ以外はずっとプラモデルを作り続けています。
松井
あらためて聞くとすごい話です。
「60年ハマり続けている」プラモデルという趣味を持っていることで、これまでの人生にどのような影響がありましたか?
石坂
絶えずプラモデルのことを考えてきたわけではないので、「今振り返ってみると」という話にしかならないんです。だから、ある程度長いことやっていないと、本当の意味での趣味にはならないのかもしれません。
そういう前提で、プラモデルの楽しみ方はいろいろあるのですが、一番の楽しさは「とにかく出来上がった時の達成感がすごい」ということです。ちょっとこの達成感というのは世の中にはあまりないですね。
また、自分ひとりでどんな時間でもすっと始められるのもいいところです。「2人じゃないとできない」「昼間じゃないとできない」という縛りはありません。夜中の3時くらいに突然目覚めて「やるぞ」って思ったって別にいいんです。
今は匂いの出ない塗料なども出てきているし、大きな音も出ない。あまり周りに迷惑はかけないタイプの趣味だと思います。
松井
確かにそうですね。
石坂
キットを買ってきて、ひとりで説明書を読んで「どういうふうにしてやろうか」と思いを巡らせるのもいいです。「この記述通りに作るとこの辺で絶対大変になるぞ」「この辺で作ったものがもげるぞ」なんて考えているだけでも楽しいですね。
完成品の観賞も楽しみの一つです。「実機のこの部分を省略しているよ、うまいなぁ」って作品を見ながら言える。ある人が作ったものをたくさん並べれば、その人の作風みたいなものがわかります。
プラモデルは誰が作っても同じというわけではなくて、同じキットを別の人が作ると“味”や“匂い”が違います。同じ塗料で塗っていても。
長続きさせるコツは「ほめてくれる人がひとりだけでもいればいい」
松井
プラモデルを作っている人にとっては「誰かに見せる楽しみ」がないと作れないし、続かないと私は思うんです。「ろうがんず」の活動を始める前は、どなたに見せていたんですか?
石坂
作品を見せていた相手は、自宅に飲みに来た人です。だから、ほめなかったら絶対に酒を飲ませません(笑)。
ドラマ「ありがとう」(TBS系、1970年~1974年出演)に出ていた頃は、児玉清さんや岡本信人が家に来て、「新しいのいいなぁ!」と言ってくれて。嘘でもほめてくれたら「まあまあ、はいウイスキーどう?」って勧めます。劇団四季にいた時も、四季の連中が来て「よくこんなもの作れますねぇ」と言ってくれると、コロリです。
長続きするコツは、「見て、ほめてくれる人がひとりだけでもいる」。それだけでいいんです。
松井
仕事を持ちながら趣味を長く続けるのは大変ではないでしょうか。僕も50年近くプラモデルを作っていますが、その中でも全く作れなかった時期が10年近くあるんです。高校受験や大学生の頃は、ほぼ作れていませんでした。
石坂
そういう時期があってもしょうがないと思いますよ。あきらめが大事です。「とにかく完成させる」、それがプラモデルを続けるコツですね。
パーツが1つなくなってもいいし、失敗してもいいし、塗装しなくてもいいから、とにかく一つ形にすれば「まあまあいいじゃん」という気分になれます。
松井
前から疑問だったのですが、俳優としてのせりふはいつ、どこで覚えているんですか? 現場の楽屋かどこかで?
石坂
いえいえ、自宅で覚えます。
松井
プラモデル作りとせりふを覚えることは、並行してできるものなんですか?
石坂
できます(即答)。
松井
即答でしたね(笑)。
石坂
昔は1~2回脚本を見れば覚えられましたから、あまり苦にしていませんでした。さすがに大河ドラマの出演時は忙しかったですけど……。
僕が一番「家へ帰った感じ」がするのは、家でプラモデルを作っている時なんです。
60年にわたるプラモデル沼、その沼にハマった経緯
木製の「ソリッドモデル」から、国内外の「スケールキット」へ。少年期~青年期の模型作り
松井
会長とお話ししていて、あらためてプラモデルっていいなあと思うわけですが(笑)、そういえば石坂会長はどんなふうにプラモデルにハマっていったのでしょうか?
石坂
私、生まれが戦前(1941年)でして、小学生の頃は木の板から削り出す模型作りをやっていました。中学生の頃に、模型店でちゃんとした木のキットが売られるようになりました。
松井
いわゆるソリッドモデル(木製模型)のキットですね。
松井
確かに組み立てキットではありますが、最終的には部品を削るんですよね。
石坂
そうです。図面に翼の断面図が書いてあって、その線にそって画用紙で切り、削ったらその紙に合わせて木をだいたいいい感じにするというキットです。
同じ頃に海外製のプラモデルが販売され始めたのですが、当時は値段が高く、とても子供が買えるような代物ではありませんでした。
松井
そんな環境の中、“舶来のプラモデル”とのファーストコンタクトは?
石坂
中学の終わり頃、新橋の「ステーションホビイ」と渋谷の東急百貨店の片隅に売り場ができて、ビニールの袋に入った海外のキットがガラス張りのショーケースに並べられていました。
さまざまな国のキットがそのうち出回るのですが、当初はイギリスのものが多かったです。フロッグ、エアフィックスが真っ先に来ていました。
松井
新橋のステーションホビイは今やプラモデルファンにとっては伝説の輸入模型販売店です。でも、当時の中学生にはさすがに行く用事がなかなかありませんよね。訪れたきっかけは?
石坂
友達と一緒に有楽町で映画を見た時に、友達から「見に行こう」と言われて、新橋まで一駅歩いて行きました。でもさすがに店の中には入れませんでしたね。
だいたいの子供は、ショーケースに飾ってあるキットを外から見る。もし入ったって買えないし、「買わないんだったら見せないよ」なんて言われたという伝説がありましたから。
松井
僕が子供の頃にもそういうおもちゃ屋はありました……。みんなつらい思いを経験しているんですよね。その思いが大人になってから爆発するんですが(笑)。
初めて手にした“舶来キット”は何だったのでしょう?
石坂
最初に買ったのはレベルのX-5(アメリカの試作飛行機)でした。ぱぱっとできちゃうものだったんですけど、それでも足(脚柱)はあったし、小さいけど透明の風防があったし。
松井
今でこそ、透明の風防はどのプラモデルにもありますが……。
石坂
木製の模型では、操縦士が乗るキャノピー(操縦席の透明な覆い)を削り出し、窓の部分を空色のペンキで四角く塗って、空の色が映っていることにしてごまかしていたんです。
そんな状況で、透明なパーツがあって、びっくりしてひっくり返っちゃった。
松井
国産で初めて買ったのは何ですか?
石坂
零戦を買いました。国産のプラモデルが出たのは確か高校1~2年の頃で、当時はさまざまなメーカーから零戦が出るようになっていました。
学生時代に芝居にのめり込み、プラモデル作りを一時中断
石坂
でもその後、芝居にのめり込んでいったん模型をやめちゃうんですよ。
石坂
高校の時から劇団に入っていたんですが、その劇団が貧乏で、ツテを頼って通行人のエキストラをやっていました。
大学では法学部に進んだのですが、その一番の理由は、当時「法廷ドラマ」が大流行していたからなんです。僕は芝居の他にずっと脚本も書きたいと思っていたので、法廷見学がたくさんあればいいなと思っていたんですが、とても少なかった。そして、すごくつまらなかった(笑)。
その頃に「芝居の道で生きていけるかいけないか」という賭けを2年やりました。僕、大学を2年休学して、2年生を3回やっているんですよ。その頃に模型を休みました。
松井
大学を卒業されてからは?
石坂
大学卒業後の「劇団四季」時代に、忙しさでもう一度プラモデル作りを休んでいます。2年休学して24歳で大学を卒業した後に劇団四季に入り、浅利慶太さん(劇団四季の創立メンバー)の演出助手を3年くらいやりました。
劇団四季を辞める前に『太閤記』(1965年のNHK大河ドラマ)に出演し、25~26歳くらいまで劇団四季にいて、劇団四季を辞めて帝国劇場に行って、その後すぐ『天と地と』(1969年のNHK大河ドラマ)に出演。独立してからプラモデルを再開しました。
好きなジャンルは「とにかく飛行機」
ドイツの「メッサーシュミット」にハマったわけ
松井
ここからは石坂会長のプラモデル沼について存分に話を聞いていこうと思います。同じく沼の住人の方々、おまたせしました(笑)。まず、好きなプラモデルのジャンルは何でしょう?
石坂
それはもう飛行機です。
松井
やはり飛行機なんですね。著書『翔ぶ夢、生きる力』(廣済堂出版)でも、さまざまな飛行機への思いについて書いていらっしゃいます。
石坂
飛行機自体がものすごく好きで、飛行機の本をずっと買っていましたし、乗るのも好きですし、いろいろな基地のお祭りに「飛行機が見られるから」という理由で出かけたりもしましたし。
松井
飛行機のプラモデルがお好きなだけではないんですね。
石坂
中でもずっと日本の飛行機が好きだったんですけど、ある日ドイツの飛行機を見たら、設計思想の違いを感じまして。「なぜ日本はのたくたこんな飛行機を作ってたんだろう?」と思って腹が立っちゃって。
松井
プロポーションが異なるからでしょうか?
石坂
日本の飛行機は、全面一色に塗ってあって、隠れるようにぼたっと飛んでるじゃないですか。ドイツの飛行機は「あのマークは誰々の飛行機だ!」と見せながら戦うわけです。そこが、子供心にすごいなと思いました。やはりヨーロッパの飛行機には戦争の歴史の重みがすごくある。
松井
それで、今でもお好きな「メッサーシュミット」(ドイツの戦闘機)に向かうわけですね。
石坂
はい、メッサーシュミットのキットにぐっとのめり込んで、そこからですね、もっぱら飛行機を組み立てては塗装して。最初のメッサーシュミットは、メッサーシュミットBf109です。
石坂
あと、一時ちょっとはまってたくさん作ったのが「ドルニエDo 17」(ドイツの爆撃機)。“空飛ぶペンシル”と呼ばれていて、胴体がすっと細くて格好良い爆撃機だったんですよ。これがモノグラムから出ていて、5機くらい作りましたね。
松井
おかしいですよ、5機も作るって(笑)。1年間にだいたい何個ほど作っていますか? おそらく10じゃきかない数字ですよね。
石坂
20は作りますね。
松井
さすがです。作っていない状態のものはどれくらいお持ちですか?
石坂
数えたことはないですね……。そんな大したことないと思いますよ、150くらいじゃないですかね。置き場所は飛行機、戦車、船、ドイツならドイツ、日本なら日本と分けておいてあって。
良さそうなものは2つ買っちゃうんですよね。1つ作って「次はうまく作ろう」と思ったり、組み立てずにじっくり見るのが面白かったり。私が今ハマっている「ウーフー」という飛行機だけでも10機くらいあるんじゃないかな。
松井
はい、確かに我々は、何機も石坂会長のウーフーを見ています(笑)。
プラモデルを買う場所は「ネットでも、地元の模型店でも」
松井
そういえば石坂会長は最近、どこでプラモデルを買っているんですか?
石坂
今はネットで買っていますが、模型店に行くこともあります。地元たまプラーザの「ホビープラザ」とか「文教堂ホビー」とか。
松井
ネットで買われると、当然宅配されますが、受け取りは奥さまがされるんですか?
石坂
私でも誰でも、家にいる人が受け取ります。
松井
僕の場合、子供の頃にそういうものが届くと親や姉に「またこんなものを買って!」なんて言われ、今でもプラモデル1個買ったことが妻や家族にばれたら大変だという気持ちがしみついてしまっています。
石坂
うちでは、帰宅したら「タミヤが来てるよ」なんて言われます(笑)。
松井
プラモデル沼の住人にとってはプラモデルを作る際の道具というのもまた沼ポイントなわけですが(笑)、石坂会長はずっと使い続けているものはありますか?
石坂
一番古いものは、0.5ミリ幅の小さなノミです。0.5ミリの鉄の板を知り合いに削ってもらって、自分でグラインダーを使って模様を付けました。
石坂浩二さんが使っている自作道具のひとつ
石坂
主に、はみ出た塗料を削るのに使っています。小さい部品に塗料が溜まって固まっちゃうんですよ。プラモデルはそんなに固いものではないので、切れ味はそんなに鋭くなくても問題ないです。手作りくらいの方がぐさっといかなくていいですね。
松井
手作りのノミ! これまた沼エピソードですね……。
石坂さんがあらためて考える「プラモデルの魅力」とは?
好きなものを作ってみれば、好奇心が目覚めるはず。プラモデルのススメ
松井
プラモデルに興味を持つであろう方、またはプラモデルに興味がある初心者の方に向け、プラモデルの魅力についてあらためて紹介をお願いします。
石坂
模型やプラモデルって、「自分の好きなものをもっと手近で見たい」「気になったものを小さくして自分の手元に置きたい」という気持ちから生まれたと思うんですよ。
ものを見て「きれいだな、すごいな」と思う方にもおすすめですし、ものに対する感動や好奇心を最近忘れているなと感じる方の場合は、好きなもののプラモデルを作ってみればそれを目覚めさせられると思います。「この形はこういうふうになっていたんだ」など、面白いことに気付けると思うんです。
松井
今はとにかく街のプラモデル屋さんが激減してしまっているんですが、ネットではいくらでもポチッとしたら届きますしね。
石坂
ネットで買う前に、模型屋さんの製品一覧などもネットで見られます。この記事をご覧になっているのはそういうことができる方々だと思うので、探ってみてはいかがでしょうか。形が良さそうだったら本当にすぐ買えますので。
松井
プラモデルには塗料の塗り方や技法が山のようにあるんですけど、YouTubeで「プラモデル 塗装」と検索するだけで、素敵な動画がいっぱい見られます。いくつか見ているだけで、だんだん自分でも「こんな簡単にできるんだ」って作れるような気になってきます。
石坂
筆はある程度いいものを1~2本買った方がいいですね。安いものもあるんですが、筆の先が抜けちゃって。ニッパーなどの工具類もそうですね。ちょっと高いものを触ってみると「最初からそっちを買っておけばよかった」となりますから。
松井
よくあることですね。
石坂
キットやメーカーによって、ニッパーを入れる隙間が細く、極細・先細のニッパーしか使えないものがあります。部品と枝との間にちゃんと隙間があればいいんですが、どこで切っていいのかわからないものもよくある。ニッパーで切ってみたら、実はそこに出っ張りが必要だとわかったりして……。
でも、「こうしてくれたら失敗しないのに」なんて言いながら作るのも、結構楽しいんです。
松井
「やってみる」というのは本当に大事ですね。
石坂
入門用のキットもありますよ。飛行機だったらまずは1/72スケールを作られるのがいいと思いますね。安いから失敗してもまた作り直せますし。また、完成までの日にちが短いです。
石坂
1/72のスケールだったら、10個くらいは置こうと思えば置けるので、そんなに場所も取りません。よくできているキットはタミヤにもハセガワにもあります。いくつか作ったものを並べると「この飛行機とこの飛行機は大きさがこれだけ違う」とわかって楽しいです。
今後のプラモデル作りでやってみたいことは?
松井
最後に、今後のプラモデル生活でやってみたいことをお聞きできればと思います。
石坂
ドイツのメッサーシュミットBf109を、数字にちなんで「109機作る」ことを目指しているんです。いろいろなメーカーやスケールがあって、30機くらい作りました。タミヤだけでも10機以上作っていますよ。
大型のキットで「買ったはいいけど手がつけられていない」というものもあります。それを何とか作り上げたいと思っています。
「造形村」というメーカーが出している1/32の飛行機のキットを一通り持っています。1個だけ作ってみたはいいけどでかい(笑)。
また、映画『ロード・オブ・ザ・リング』を作った監督の方が、ウイングナット・ウイングスというニュージーランドのプラモデル会社のオーナーで、第一次世界大戦の複葉機の実機を買い、それをなんとプラモデルにしてしまった。そのうち何種類かを持っています。
石坂
さらにもうひとつ、ハセガワの「ミュージアムシリーズ」の1/8のソッピース・キャメルという第一次世界大戦の複葉機。これはプラスチックの部分もありますが、木があったりアルミがあったりして、プラモデルとはちょっと言い難いんですよね。「出来上がったらどこに置くか」を考えて作らないといけないようなものを今後作っていきたいですね。
☆ ★ ☆
石坂会長のお話は、我々の想像や常識をはるかに超えるスケール感でした。この他にも大幅に時間をオーバーし、たくさんの話題が飛び出たのですが、この辺で。ぜひネットショップなどを使って、お手頃なプラモデルを一つ、作ってみるところから始めてみてください。
著者:松井康真(まつい やすまさ)
1963年生まれ。テレビ朝日報道局勤務。生まれて初めて作ったプラモデルは、小学3年生の時に親戚のおじさんに買ってもらったタミヤの100円のミラージュ戦闘機。子供の頃からプラモデルに惚れ込み、プラモデル沼にハマってからはもう50年ほど、当たり前のようにずっとプラモデルを作り続けている。社会人になってからはインターネット黎明期の1998年に個人で模型メーカー・タミヤの模型に関するWebサイト「田宮模型歴史研究室」を立ち上げ、運営。これを機に、タミヤの公式ガイドブックなどを執筆する。また、図面のないところから個人でフルスクラッチして作った北朝鮮の貨客船「万景峰号(マンギョンボンごう)」や福島第一原発原子炉建屋の模型などを、本業のテレビ報道でも活用。著書に『タミヤの動く戦車プラモデル大全』(大日本絵画)、『田宮模型全仕事 (増補版) 』1~3(文芸春秋)など。
撮影:関口佳代
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